休学後の進路

休学中に自分の将来について両親と話したり、考えたりしました。選択肢として存在しているのは3つでした。

・休学した年度の後期(10月)から復学し、次年度での卒業を目指す。

    卒業研究の単位が通年で残っていたので、10月に復学しても卒業は次年度でした。

        良い点

        自分をよく知っている友人がいて助けてくれる。

        修了に必要な卒研以外の単位をとって、次年度の負担を減らして卒研、就活に集中できる。

        悪い点

        あまり仲良くない人、教授の目が怖い。

・次の年度の4月から復学し、卒業を目指す。

        良い点?

        とりあえず、あと半年は治療できる。

         ?の理由:正直、半年たっても復学が怖いままだったような気がする。

        悪い点

        知人や後輩、教授に会うのが怖い。

・退学し、就職先を探す。

        良い点

        もう学校に行かなくていい。

        悪い点

        社会に出ること自体が怖くなりそう。最悪だとニートもあり得る。

 

大学の4年間と進学するまで頑張った2年間の集大成として卒業したい。(今思えば、まだ働きたくなかったのかもしれない。)

復学を4月に先延ばししても心理的抵抗が軽くならない、学校に慣れるリハビリ期間として半年早い10月に復学する事にしました。

 

休学中の生活4

自分が楽しむために何かをするというのは始めはとても罪悪感がありました。

これだけ人に迷惑をかけておいているのだから自分は楽しんではいけない。苦しまなければならないみたいな気持ちがありました。

これは卒研の時もそうでした。自分は他の人よりも遅れているから遊んだり、飲み会に行ったりしている場合ではないとにかく頑張って追いつかなければ人並みに楽しいことはしてはいけない!(なにを頑張るのかもわからなかったので追いつくわけもないんですが…)

カウンセラーにこの話をすると

『楽しいと思うことがないとこの病気は治らないからやりたいならやればいいと思うよ。それに無理に楽しもうとしなくてもいい不安だと思ったら元気になったらやろうくらいでいいんじゃない?』

とアドバイスをもらったのでとりあえず深く考えないでやってみる事にしました。

バイト代が溜まってくると(予定がなければ自宅に引きこもっていたので結構たまりました笑)新しいゲームや漫画を外に買いに行くようになりました。

休学してストレスのかかる場所から離れ、自分を罰する癖を止めるようして4ヶ月も経つとだいぶ症状も軽くなりました。

それから遠くに住む親戚の家に声をかけてもらったので、1ヶ月くらい自分の家から出てみる事にしました。学校からも実家からも離れているので親戚以外には自分を知っている人はいない環境はとても気楽でした。親戚の仕事を見学したり、車の運転をしたり、旅行に出かけたり薬は飲み続けていましたが、かなり元気になりました。ただ、卒研担当の教授と連絡をとったり、将来のことを考えたりすると調子を崩しこともあったので全快ということでもなかったです。

 

 

休学中の生活3

ストレスだった学校・研究室から離れ、実家に戻って1ヶ月半くらいは半日以上寝ている生活でしたが、生活リズムを元に戻すため昼間起きている訓練を始めました。

朝起きて家族とご飯を食べながら朝ドラをみて、午前中はネットサーフィンやゲームをしたりコンビニに買い物に行ったり、お昼ご飯を食べたら午後のロードショーをみて、夕方に情報番組をみて、家族が帰ってきたら晩御飯を一緒に食べて夜になったら寝る。横になって何もできなかった時と比べると気力が少し回復しましたが、とんでもないぐーたら生活ですね(笑)

しばらくして母に勧められてアルバイトと自動車の教習所に行くことにしました。

アルバイトを探したり、教習所の入学手続きをしたりと自分で行動しなければいけないところは始めるまでに時間がかかったり、気力が要りました。始まってしまえば、バイトも教習も言われたようにやればよかったのでなんとかなりました。能動的に行動するのにはものすごくエネルギーが必要みたいです。

バイトは週2回しかも連続で入れない、教習もかなりゆるいスケジュールでバイトと被らないように進めていましたが、それでも外出して帰ってくるとグッタリしましたね。家族以外のひととはなすのも久々だったのでものすごく気が張っていたと思います。

ちゃんとしているようにみられなければいけないという気持ちが学校では自分を追い込みましたが、人前ではしっかりしようという思いがあったから立ち直れたのかもしれないなぁなんて今では思います。

 

休学中の生活2

最初は両親に無理やりやらされていましたが、ベットから起きあがる、家族と食事をとる、薬を飲むを繰り返して行くうちに、こころの障壁が小さくなって1ヶ月くらいすると自分で出来るようになりました。たったこれだけのことですが自信になったと思います。

食事中の家族との会話も最初は話しかけられてもうなづくだけでしたが、少しづつ話せるようになりました。

食事の時間以外は何もせずに横になって休んでいました。

家族の前で普通に振る舞えるようになったきっかけは妹に勉強を教えることだったような気がします。妹とは年が6つ離れていて、兄として妹の前ではしっかりしなきゃと頑張れたのかもしれません。なにもやる気が出なくても妹に質問されれば起きあがって答えるようにしていました。母が言うには妹と接する時は病気する前に戻っているように見えたそうです。

妹も気を使ってくれたのだと思います。家族には本当に心配をかけました。

休学中の生活1

休学してから最初は自分の部屋に引きこもっていました。

布団の上で横になり、なぜこうなってしまったのか考え続け苦しくなり、疲れて眠るような生活でした。家族も私との接し方がわからずに困っていたので病院に連れて行ってもらいました。

病院では診療を受けて薬をもらい、カウンセリングを受けました。

病院の先生とカウンセラーからいただいたアドバイスをまとめますと

・時間になったらベットから起きて朝食、昼食、夕食を食べて、決まった時間に薬を飲みましょう。
・考え事をして辛くなったら息を吸って吐くことだけに集中してみましょう。
決まった時間に起きる。食事をとる。薬を飲む。最初のうちはたったこれだけのことでも気力を振り絞らないとできないくらいに精神が疲弊していました。

辛いことや苦しいことが頭の中に湧いてきて考え続けるというのは想像以上に疲れるようです。呼吸に意識を向けることで勝手に湧いてくるネガティブな感情や思考を止めることができました。これはとても役に立ちました。

いま苦しんでいる方がいましたらぜひやってみてほしいです。息するのに集中するだけなので道具も要りませんし横になっててもできます。

 

うつと診断されてから

うつの診断を受けてから研究室を休みがちになりました。はじめは教授、友人、両親だれにも病気になったことを打ち明けられませんでした。打たれ弱い、根性がない、ダメなやつなどと思われるのが怖くかったんです。

母と電話をした時に僕の様子が変だという事に母が気がつきました。隠せないと思い、両親に病気だということを打ち明けました。

両親からは研究に行き詰まっていること、病気であることを教授に打ち明けて、助けてもらいなさいというアドバイスをもらいました。

勇気を振り絞り教授に研究が進まないで辛いこと、うつになってしまったことを打ち明けました。それまで僕が元気で明るいフリをしていたので驚き、戸惑っている様子でしたが僕の話を聞いてくれました。教授は僕の病状に気を使ってくれるようになりました。

しかし、病状は悪化し自分の部屋に引きこもりっきりになりました。もはや、学校に通えなくなり休学をしなければいけなくなりました。

僕が鬱になった経緯

僕が鬱になったきっかけはゼミ・卒業研究でした。

自分が所属していた研究室は学内では厳しいと評判でした。きつい環境に身をおくことで自分の成長につながると思い、自ら希望して配属になりました。

はじめはやる気いっぱいで研究室に通っていました。

当時は卒業研究というものがそれまでの勉強と違うということが理解できませんでした。

特に戸惑った2点の比較です。

勉強

・課題が出たら、レポートを完成させて提出し、出来で評価される。

・試験では自分の力だけで問題を説かなければならない

研究

・指示に対して取り組んだ過程を報告し次の指示をもらうの繰り返し。

・わからなければ他の人(教授や先輩、同級生)に相談しても良い   

 

「指示を完遂して報告しなければならない」「良い結果が報告できないと評価が下がる」「教授はこれくらいならできると思って、僕に指示をくれたのだから自分一人で課題を乗り越えなければいけない」などの強い思い込みが自分にはありました。

 そのため、教授、先輩に質問相談できず、手当たり次第に調べ物をしたり、なかなか実験の計画を立てられなかったりしました。

時間がだけが過ぎてしまい、教授に報告するときには追い詰められてしどろもどろになってしまい。教授には「全然進んでないないね。」「君が何を言いたいのかわからないもう少し考えをまとめてきなさい」と言われ、傷ついてしまいました。そんなことを何度も繰り返し、教授に会うのが怖くなりますます報告に行けなくなっていきました。

徐々に研究室に行くのが億劫になりました。配属されて1年たったある朝、登校するときに玄関で涙が止まらなくなり、病院に行き鬱と診断されました。