金沢旅行

はじめてきたけど金沢は駅の近くに観光スポットが沢山あっていいですね!歩いても結構色々回れました。

昨日は市場でカニと鰤とお寿司とカキを食べて、兼六園に行きました!

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兼六園で撮った鯉の写真

 

1人で旅行するのもはじめてなんですよね。今まで友達や家族に誘われたり、学校や会社のイベントで旅行することはあっても、自分で行きたいって思っていくことはなかったです。

 

理由は色々あるかも

学生時代はほとんどバイトしなかったのでお金が勿体ないと感じたり、お金を使う以上有意義なものにすべきだ!みたいな硬い考え方だったり。

有意義にするには目的を持って、しっかりスケジュールを組んで…面倒くさいなぁみたいなね

 

金勿体ないと思ってた癖に、実はスマホゲーに月5000円近くも突っ込んでた。これは別枠みたいに考えてね。

もちろん、人の価値観はそれぞれだけど俺の場合はガチャのギャンブル性ハマってただけだったので、これ無駄だなって気づいた。

課金我慢貯金をはじめて2年くらいたから今回は課金して無くなってたはずの金だしパァーッと使おう!

という具合にお金に対してあまり重く考えなかった。

目的もわかりやすくカニ食うだけだし、絶対うまいから失敗もない。

行動を起こすためのハードルは結構低めだったかな。

 

今日は美術館に行くのと、のどぐろを食べるのが目標です。

就職活動

卒論を書き上げる以外にも超えねばならない壁がありました。就活です。

鬱の時に就職、退職など大きな決断をすべきでないというのはセオリーです。しかし、ここで就職活動をしなかったら社会に出るのが怖くなってニートになるという危機感、これ以上親にお金の負担(ダブった分の学費、治療費)をかけられない、新卒カードを捨てるのはもったいない…などなど、僕が就活に取り組む理由はあまり前向きな理由ではなかったです。そんな状態でやりたいことなんてわからないし、ましてや自分の短所ばかりに目がいっている鬱の状態で自己アピール…まぁうまくいきませんよね。

病気する前は夢に見ていた研究職も卒研で躓いてる自分にとっては望んではいけない、あるいは何かの間違いでうまく行っても後で苦しむと言った思いから諦めました。


業界・企業の研究、自分のやりたい事と向き合ったり、説明会に行ったり、普通の就活生の十分の一もそういったことはしなかったと思います。

病気で気力、集中力が低下し、さらに不安に対して過敏な状態だったので説明会や面接に行った次の日は寝込んでしまっていました。


面接まで受けたのは3社だけ(大手2社と今の会社)先に受けた大手は落ちました。つらくてつらくて就活やめたくてしょうがなかったので今の会社で採用をもらった時点で僕の就活は終わりました。景気がよくなりかけ頃で人手不足だったので運が良かった。ニートという最悪の事態を回避できて一安心。

病気さえなければもっといいとこ行けたという後悔は未だにあるけどね。

ただ、就活でエネルギーと時間を使い過ぎると、鬱を悪化し卒研が終わらず、卒業できない可能性が絶大だったのでベストではないけどベターな選択ではあったかな。

ということで3月に動き始め、5月の終わりに最初に内定もらった時点で就活おしまい。


今の会社の人にとても失礼だと思うし、最低だけどさ…

今の会社はいい人が多いし、希望通り化学系のメーカーに入れたし、実家から近いし、結果的には良かったのかな?これ、結果論だから環境悪くて鬱悪化してたら目も当てられない。


実は面接では鬱のことは隠してました。面接で不利だと思ったから。休学の理由は子供の頃から患っている別の病気の治療と言ってました。まぁもう三年も前だし時効でしょ。

 


同じような状況の方には治療のセオリー通り、完治してからの就活開始をおすすめします。先ほども書きましたが、将来が不安で仕方なくて、夢も希望も持てない状態での10年後の自分を良い方に想像なんてできません。

卒研に復帰

学生として最後の年、研究室に復帰しました。辛かった…

教授には本当に苦労をかけたと思います。

辛い、怖い、出来ないとべしょべしょに泣いている二十歳過ぎの男(俺)。

そいつの支離滅裂な話を整理して、すべきことを理解させ、作業させ、報告もしてこないのに進捗を管理しなければならず、最終的には文章をかかせる。(うわぁ…書いてて本当に申し訳ない気分…)

休みがちな自分にメールを出してくださったり、締め切りギリギリ(あるいはアウト)の提出物を深夜に送っても添削してもらったり、完全に業務の範疇を超えて、子供相手でもしないようなところまで面倒を見てもらいました。

当時は話をする時はビビってガッチガチに緊張して怖かった(僕が勝手に怖がっていた)、卒業まで導いいてくれて本当に感謝してます。

 

研究室には後輩達がいました。成績は優秀、研究熱心、教授からの信頼も厚い、そして病気の自分に気を使ってくれました。

どっちが先輩かわからないくらい彼らには助けられました。みっともなくて情けない先輩でしたね。

教授や先輩、同級生すら頼れなかった自分が後輩にも頼ってなんとか卒業に漕ぎ着けたのはなんだか意外です。プライドはズタボロでしたが、逆にもうこれ以上傷つくこともないなと割り切って実験のやり方やら、課題やら、いろいろ聞いていたと思います。この割り切るって考え方も病気を通して身についたかな。割り切りってなんだか失礼な気がしてた。甘える訳じゃないけど、きちんと感謝して、それを伝えればいいんだってわからなかった。

 病気する前は助け合いって貸し借りみたいなものでこちらから差し出せるものがないと取引できないみたいな考え方が強かったかな。

 

自分の研究テーマは実験をして都合が良かろうが悪かろうがデータを出せば結論を出せるテーマにしてもらっていました。実験やって、データをまとめるだけ!という状態だったのですが、なかなか動き出せなくて思うように進みませんでした。

僕は不安を過剰に感じ、さらに自分の中で膨らんだ不安に酔って足がすくんで動けなくなるタイプです。いい結果じゃなかったらどうしよう(善し悪しは関係ないのだけども…)、卒業できなかったらどうしよう(やらなきゃそうなるんだけど…)、教授に進んでるって聞かれたらどうしよう(だったら尚更やれよ…)という具合にめちゃくちゃです。

辛いときは我慢して過ぎ去るのを待つこれが20年で身につけた不安や辛いことを解消する方法だったんですね。病気する前からこういった気質はありました。テスト前に漫画読んじゃうとかゲームしちゃうとかね。別のことして気を紛らわせるも似たようなものですね。病気の時は別のことする気力もなかっただけなので。

 

実は実験してる最中は楽しかったんです。表情筋死んでたから周りからはそうは見えなかったでしょうが…

結果が出るのをワクワクして待ってたし、いろんな装置や器具を触るのも面白いと思ったし。うまくいかないと卒業できないとか余計なこと考えないでもっと気楽にやれたらよかったな。教授に新しいことを教わったらビビってて怖がってる最中でも面白いと思って興奮してる自分もいたし。

手を動かして何かを弄り回してるのは多分好きなんですよね。失敗に対してネガティブなイメージを持ち過ぎて行動を抑制しがちなだけで。一発で成功する人なんかいないのにね。

向いてないんじゃないか?とか研究とか実験とか好きじゃないかも…なんて思ってたけど、自分を信じてあげられなかったんだな。

 

とにかくこれ以上ないほど、情けなく、みっともない姿を晒して、乗り越えた一年だったかな。

辛い思い出じゃなくて、迷惑や心配をかけた人たちへの感謝して、いい経験だったと思えるように今後の生活を送っていきたいな。

 

 

 

 

復学してから2

復学した後は先生方・友達・後輩に気にかけてもらいながら、なんとか課題を乗り越えて行くことができました。休学前からまともに授業を聞けていませんでしたが、半年の間、講義を全く聞いてなかったため集中力がガタ落ちでかなりしんどかったです。

課題とかはほとんど友人に教えてもらったし、教授に期限に間に合わないので延ばしてくださいと頼み込むことも多々ありました。正直、いいことではないのかもしれないけど大切な経験をしたと思います。それまで一人でやることが一番大切だと思っていました。

グループで物事を進めるという事について、一人一人がやることをやって行く事だと考えていたので、助け合ったり、相談したりということを軽視していました。

行き詰まる経験が少なかったのは、出来無さそうと思ったことには挑戦しなかったのと、やってることが必要ないと判断したらすぐに投げ出していたためだと思います。

人並みにやってみたいことや、なりたい自分みたいなものはあったと思うけど、自分を諦めていたのかな。言われたことをそつなくこなしとけばいいし、それが出来ないのは落ちこぼれだと思っていました。鬱になったのは自分が落ちこぼれだと認められなかったからです。

復学してからは出来ないものは出来ないと受け入れ、認めることをして卒業に向けて進んでいきました。

プライドが邪魔して簡単ではありませんでしたが、自分が出来ないと認めて助けてもらうことは意外と楽で心地よかった(甘えすぎもどうかと思うが…)です。無理に繕う必要がないのは息苦しさみたいなものはなくなりました。

同期に入学した友人の卒業式もでるか悩みました。

病気さえなければ俺も…とか、いいとこ就職したり…苦悩はありましたが、結果的には出席して友人を送り出しせてよかったです。

復学してから

10月に復学しましたが、すぐに研究室には戻りませんでした。

理由としては卒業研究は通年で単位が出るため、また病気の様子を見るための二点です。

次年度卒業することにして卒業研究以外の必要な単位を取得することと、卒業研究の復帰に向けて研究室の教授、学部の教授とカウンセリング室等で面談をすることに2つに注力しました。

休学前は学生寮に入っていましたが、家族に自分の様子を観察してもらうために実家から通うことにしました。みっともない話ですが、自分で自分の行動を管理できなくて、つらくて苦しいといつまでも布団の中でうずくまりサボってしまうためです。実際は復学した後、無理起こしてもらって、学校や研究室の手前まで行っても、怖くなってひきかえして図書館やコーヒー屋さんでさぼってしまうこともありました。それでも自分の部屋から出ないよりはよかったかなと思います。サボっている間も、教授から連絡あったらどうしよう、知っている人に会ってしまうのではないか不安で苦しかったです。

帰りの電車の中や家の近くのカフェにいるときは誰も自分の状況を知る人はいないし、自分を責める人はいないのでゆったりした時間が過ごせました。本読んだり、映画見たり病気している時で一番心が安らいだのはもしかしたらこの時間かもしれません。